S t o r y
ヤングケアラーとは、本来大人が担うと想定されている家事や家族の世話、
感情面のサポートなどを日常的に行っている子どものことです。
私は、元ヤングケアラーの当事者としての経験や気づき、障がい者との暮らし、周囲のサポートの在り方などを伝え、誰もが笑顔の奥に苦しさを抱えることのない世の中になってほしいという願いと共に講演活動を行なっています。
子どもたちが背負っている孤独や責任から少しでも解放されること、ヤングケアラーだけでなく、人々が助け合いやすい地域の循環が広がっていくことを望んでいます。
生まれつき耳が不自由な父と、病気で右目を失った母の間に一人っ子として生まれました。
小さな頃から両親の身体を気遣いながら生活する事は私にとって当たり前の日常でした。
母は自分の好きなことだけを率先する性格だったこともあって、身の回りのことは父がサポートしてくれることもありました。当時、ヤングケアラーの役割として、主に感情面のサポートや危険を知らせること、耳の不自由な父には声掛けや通訳まがいの事をし、母には見えにくい文字を読んで伝える事などをしていました。
小学生の頃から、朝食も作ってもらえず一人で身支度して学校へ行く毎日を送りました。
周囲の大人たちからは「しっかりしてるね」と言われると同時に「親の面倒を看てあげてね」、両親からは「私達は障がいがあるから」というような言葉が壁となって自分の本当の気持ちや弱音をなかなか言えずに育ちました。
父の影響もあり、本が大好きです。
小さな頃から、多くの時間を本と一緒に過ごしました。
私にとって唯一、本の世界は自由な場所でした。
学校ではいじめられ、親の事を揶揄され、家に帰っても何となく窮屈さを感じていた私に本は色んな世界を見せてくれました。
言葉にできない気持ち、人が持つ様々な感情、美しい表現、想像する楽しさを教わりました。
限られた環境の中にいた私には、計り知れない物語を知ることが出来ました。
「親の面倒を看るために生まれてきた」と親戚や近所の大人から言われる事もありました。その度に、「家族のために産まれて生きる?」「個性や人権とは障がい者の親にはあって、健常者の私には認められないのかな?」という何とも言えない矛盾や憤りを感じていたことを思い出します。
家族の中で一人だけの子ども。家族の中で一人だけの健常者。
世間では多数が、家の中では逆転している立場の中、「障がいとはなにか」をいつも考えていました。子供にとって絶対的な存在である親に障がいがあることで、良くも悪くも思慮深さを授けられた様に感じています。
一人っ子であるが故に、逃げられない現実とヤングケアラーとして担わざるを得ない役割は私にとっての「当たり前」でした。
孤独や世間とのズレを感じながらも、本が教えてくれる言葉に救われて生きてきました。
そんな環境で育つ中、様々な事柄が起こりました。
大人になるにつれて、自分の環境や物事にも向き合えるようになり、医療機関や臨床心理士の先生にも相談できるようになりました。
「親を捨ててもいいんだよ」と先生に言われた時には、雷に打たれたように感じました。
それは、今まで擦り込まれてきた道徳観から少しずつ解放されていくきっかけになりました。
高校生の時に自転車で転倒し、くも膜下出血になりました。
意識不明で病院に運ばれましたが、命はとりとめ、今は後遺症もなく過ごしています。
なにげない日常の中でも、死が唐突に訪れるかもしれないという経験をしたことで、「このまま生きていてはいけない。これからは出来るだけ後悔の無いように生きよう」と、自分の人生や心にフォーカスして生きることを決めました。
最近になって、自分が置かれていた状況がヤングケアラーだったと認識できました。
「ヤングケアラー」という言葉に、当時の自分が少し救われたような気にもなりました。
そんな私が何よりも子どもたちに伝えたいことは「とにかく諦めずに踏ん張って今を生きてほしい」ということ。
そして「大人になれば、必ず自分の思い描く日々を送れるようになる」ということ。
どんな子供、どんな家庭、どんな人にも訪れるかもしれない「誰かのケアをする日常」
それぞれの負担を少しでも軽く、孤独にならない社会作りが私たち大人の使命だと考えています。
「知って、考えて、話して、行動する」
C o n t a c t